40度を超えるような猛暑もようやく収まり朝晩は羽織るものが欲しくなる気候になってきた。そのためか、活発に動き回っていた稚魚も池の底に日がとどくまではかたまって動かずにいる時間が長くなってきた。自然界に生きるものたちの方はささやかな気温の変化や風や水の流れをじかに感じているようだ。快適な暮らしを求めるうちに人は自然のセンサーをいつのまにか失っているのかもしれない。
明け方や日暮れに聞く蜩の声は濁りなく澄みきって聞こえる。夕立のあと、雨雲を払うような風が出てきたときのカナカナカナという声は涼しさとともに夏も終わりに近づいてきたことを感じる。同じく初秋に鳴き始める蝉に法師蟬(ツクツクボウシ)がある。
・たちまちに蜩の声揃ふなり(中村汀女)
・ひぐらしの幹を一本づつ奥へ(鷹羽狩行)
旧東海道に鈴鹿峠がある。昔なら山賊が出たかもしれないと思える山道を五十三次ツアーで歩いた。ガイドさんに山蛭の対策をと言われたが見たこともない山蛭。とりあえず、素肌が露出することの無いように長袖長ズボンを身に着け、山蛭用スプレーを用意した。足元ばかり気にしていたが山蛭は木の枝からも落ちて来てあちこちで山蛭発見の声があがる。実際見てみるとやはり気持ちの良いものではないが、せっかくの機会とのぞきこむ。皆撃退グッズは用意していたが、塩が安くて有効だったようだ。
・蛭ひとつ水縫ふやうに動きけり(花史)
・浮草を押しながら蛭泳ぎけり(高野素十)
・頭やら口やら蛭の伸びゆくは(岸本尚毅)
一心不乱に心経を唱える行者の声は滝の音にも負けてはいない。白装束に身を固め夏でも冷たい滝の水に打たれるのは生半可な気持ちではできないこと。華厳の滝、那智の滝など信仰の対象になっている滝が全国各地にある。
・紙にませばまこと美はし那智の滝(高浜虚子)
・滝落ちて群青世界とどろけり(水原秋櫻子)
・滝の上に水現れて落にけり(後藤夜半)
・滝落ちて自在の水となりにけり(小林康治)
地中から滲みだした水が山の崖や岩肌などを伝って落ちる雫が滴り。一滴一滴落ちる場合や滴りが連なっている場合もある。おおかたが薄暗いところで見かけることが多いので音とともに涼しさを肌で実感できる。
・したたりの音の夕べとなりにけり(安住敦)
・滴りをはねかへしたる水面かな(片山由美子)
・苔の先光りてはまた滴れる(岩田由美)
四季があるとはいえこの頃は春と秋が短く猛暑の夏と豪雪の冬が際立ってきた。雨が降らない田んぼの土は水が干上がり、ひびが入るだけではなく土が捲れている。水不足で稲が枯れて収穫が見込めない田も出てきたと聞く。昭和の時代を懐かしむだけでは自然は元に戻らない。間に合ううちに手を打たねば…と思う。
・暗き家に暗く人ゐる旱かな(福田甲子雄)
東海道53次を京都三条大橋から東京日本橋に向かって歩いていたことがあった。コロナが流行ったこともあって中断してしまったが、それでも一日15キロ近くを歩くのは楽しい経験だった。その日の旅程が終われば迎えのバスに乗り、次回に引き継ぐというツアー。雨の日は傘は差さず合羽を着て歩き昔の旅人の気分も味わうことができた。コロナでの中断がなければと少し残念に思う。
・ゆけどゆけどゆけども虹をくぐり得ず(高柳重信)
・虹なにかしきりにこぼす海の上(鷹羽狩行)
・誰もゐぬ港に虹の立ちにけり(鈴野海音)
四季を通して見られる夕焼だが単に夕焼と言えば夏の季語。明日天気にな~れと下駄なり靴を投げたことがある人も多いだろう。島の宿にとまったとき立派な魚拓と潮位表が食堂に貼ってあった。鰭の鋭い黒鯛の魚拓は墨のノリもよくことに目を引いた。舟を借りての海釣りには気持ちの良い季節、海釣りが趣味という女性も増えてきているようである。
・夕焼を頭より脱ぎつつ摩天楼(鷹羽狩行)
・働いてこの夕焼を賜りぬ(櫂未知子)
・墳すでに闇に入りたる夕焼かな(鷲谷七菜子)
ソーダ水・サイダー・ラムネいずれもシュワシュワした発泡性のある炭酸水。
ゆえにシュワシュワした泡が抜けるとただの甘ったるい水で清涼感もあったものではない。線香花火の消える寸前のような火を思わせるような泡がゆらゆらと上がるのを見ながら期待もしぼんでいくのであります。
・一生の楽しきころのソーダ水(富安風生)
・ストローを色駆けのぼるソーダ水(本井英)
この時期になると、実家の草取に帰省していたころのことをを思い出す。4時前には手もとが見えるほど明るくなっているので蚊遣りを焚いて朝ごはんまでの3時間ほどをほぼ毎朝草をとったが、取り切らぬままにかえることもしばしば…年々暑くなる夏、この時期の朝の涼しい時間が実に心地よい。
・わが消す灯母がともす灯明易き(古賀まり子)
・明易き森の中なる灯がともり(千葉子皓史)
・草を踏む音のかすかに明易し(石田勝彦)
深い渓谷に集客目的で吊橋を架けているところも少なくない。徳島県の祖谷渓にかかる吊橋は葛をあんだもので落人伝説が残っているも諾える。揺れる吊橋は目が粗くしがみつきながら渡るので眼下の流れや水音、ひんやりした葛の手触りで身も心も涼味満点…。下が見えるから怖いと吊橋を渡るのをあきらめた人もいる。
・夏霧の走る落として羽黒杉(安藤章雄)
・夏霧の海より湧きて海に去り(鈴木真砂女)
近くの家の車庫でどくだみを干していた。干したばかりなのでまだ独特の匂いがしていたが、よく乾かしてお風呂に入れたりお茶にして飲むという。最近の雨は降るとなると川があふれるほど、降らぬとなるとダムが干上がるほど、と荒っぽくなった。これも温暖化のせいだろう。
・空梅雨の塔のほとりの鳥の数(宇佐美魚目)
・きびなごの酢味噌うましや旱梅雨(角川源義)
鹿の角は毎年、春に付け根から落ちて晩春から初夏にかけて生え変わる。生え変わった角は初めビロードのような柔らかな毛の生えた皮をかぶっており、毛細血管が透けて見える。これを袋角という。再生するたび、つまり年を重ねるたびに枝分かれした立派な角となって生え変わるのである。
・袋角熱あるごとくあはれなり(中田みづほ)
・袋角鬱々と枝を岐ちをり(橋本多佳子)
・木洩れ日の影のからまる袋角(西宮舞)
天然に水が湧き出しているのが泉。年中見ることができるが湧き出る際のかすかな水音や透明な水の美しさゆえに夏の季語となったものと思う。今のようにどこでも水が手に入る時代であっても泉に出会ったときの喜びはひときわ。歩くしか術のなかった時代なら生き返る心地がしたであろう。
・掬ぶよりはや歯にひびく泉かな(芭蕉)
・草濡れてはたして泉湧くところ(井沢正江)
・音ひとつ立ててをりたる泉かな(石田郷子)
春先から雨の日が増え、一雨ごとに夏が近づいて来ると感じる。それは雨の降り方についても言えることで、音立てて俄かに大粒の雨が降り出すことも珍しくない。災害が出ないようほどほどの降り方でとどまってくれることを願うばかりである。
・夕風に土の匂ひや夏来る(吉田茂子)
・路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ(菖蒲あや)
今年の立夏は5月5日、子供の日にあたる。4月半ばからすでに初夏の陽気のところもあり気象庁は夏の暑さを表す言葉に40度越えの日を酷暑と呼ぶことにしたという。やりきれない真夏のことはさておき、清々しい季節を存分に楽しみたいと思う。
・竹筒に山の花挿す立夏かな (神尾久美子)
・夏に入る硝子のペンで書く手紙 (山田佳乃)
春は鳥たちも繁殖期に中り、雄は美しい声で鳴いて雌にアピールする.その鳴き声が囀。鶯のホーホケキョやカラの仲間のツツピーも囀り。色鳥(秋)のように目に見えるように姿を詠むことが本意の季語に対し春の鳥の場合はその声に春らしさを感じるので百千鳥などの季語も耳で捉える季語と言われる。
・百千鳥森の扉を全開に (山崎千枝子)
春、卵を持った雌の蛸を煮ると体内に飯粒が詰まっているように見えることからこの名がついたと物の本には書いてある。捕まらなかったらこれが全部蛸になるのにと思ったりもしたがやはり美味しい。蛸を煮ると紅色になるので蛸の桜煮とも言う。里芋などとの煮付けがこの季節は喜ばれる。
・なにか侘し飯蛸の飯とぼしきも (上村占魚)
・舟べりへ逃げし飯蛸引きはがす (星野恒彦)
寄居虫と書いてやどかりと読む。がうなとルビを振られていることもあるがどちらにしても当て字としか思えない。身体が成長すると他の大きな貝殻を求めて移り棲むのでこの名があるようだ。
・寄居虫の又顔出して歩きけり (阿部みどり女)
・やどかりのころりと落ちし汐溜 (藺草慶子)
開花が早かった分その終焉もあっけないものだった。コロナ感染症の真っただ中に入学した子たちはこの春小学校を卒業、中学の入学式は葉桜のもと。満開の桜の下でという光景はそのうち昔話になるかもしれない。
・空をゆく一かたまりの花吹雪 (高野素中)
・一本のすでにはげしき花吹雪 (片山由美子)
・しあはせに目のあけられず花吹雪 (鷹羽狩行)
目と鼻の先に里山がある、というより里山の麓に開けた住宅地に住まわせてもらっているといった方が良いかもしれない。熊にこそ会わないが猿や雉、鹿や猪は珍しくない。そんな場所なので鶯もチャッチャっという地鳴きやホーホケキョ、谷渡りと季節によって変わる鳴き声を聞かせてくれるが、畑を電気柵で囲っているのを見ると人と鳥、動物の間合いの取り方の難しさを実感する。
太陽の周りに白い暈がかぶっていることがある。春先に見られることが多い。白や虹色の輪のことを「ㇵロ」というそうで天気が下り坂のサインともいわれる。月にかかることもあって朧月などと呼ばれる。枝垂れ桜も遠目に見ると輪郭が薄れてひとまわり大きく見えることも。これも春の空気のせいかもしれない。